自分の持っている恐怖症。

お題「わたしは○○恐怖症」

自分の恐怖症を挙げていく。

空恐怖症

地面が見えなくなるまで空を見上げると、空に落ちそうになる感覚がある。空に落ちたら二度と地面には戻れないのではないかと思う。空を見上げない分には恐怖感はない。 地面に横たわって空を見上げ、雲を見ている余裕はない。天井なら好きなだけ見上げたい。(我ながらもっと寝たいという遠回りな表現である。)

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、こちとら真面目なのだ。

高所恐怖症

文字の如く、高い所が怖い。手すりがあれば手すりを離さない。開放的な高い所に行くことは自分は今後無縁だろう。 こういう経験がある。

自分は山梨県民なので、一度富士山の山頂に行くことにあこがれていた。しかし8合目から空恐怖症と合わせて登れなくなった。体には以上はないが本能がこれ以上登るなという指令により、脳のいうことを聞かざるを得なかった。

他にも親父とパラグライダーをしに行ったことがある。朝霧のどこかにある対して広くもない練習場でインストラクターの相乗りから一人でも飛べるような許可?があり、 無線機?的なものでインストラクターの指示を機器ながらコントロールするのだけれど、風邪が強いものだから高い所に飛ばされて一人になった。

50メートル。高さはアマチュアでガチでやっている人には笑われる高さだけど、自分が10歳ぐらいで50メートル上空で数分もの間は一人になったのだ。 この練習以降、パラグライダーはしていない。(やるものかw)

なので、高い所に行くときは自分が逝ったとしても、高い所に行かないよう地面に這いつくばってやる。

喪失恐怖症

どうも検索してもこういう恐怖症がないので造語にはなると思う。

自分がいう喪失恐怖症とは自分の持っているものが無くなったらと思うと怖い気持ちが続く感じの事を言う。 例えば、視覚。無くなったら3DCGやら絵やら映画といった視覚的娯楽を楽しめなくなる。 例えば、聴覚。無くなったら曲といった聴覚的娯楽を楽しめなくなる。 例えば、手や足。無くなったら移動することや働くこと、3DCGや絵を作るのが難しくなる。 例えば、大切なもの。無くなったら自分の心の支えがなくなる。

これらは感覚や自分の可能性や娯楽を失うことが主な恐怖を構成しているのだと思う。 最後に大切なものを挙げたけど、これは別の恐怖心がある。失ってからの後悔が一生心にまとわりつくのが怖い。

目恐怖症 (対人恐怖症?)

視覚を失ったらという恐怖心から目の手術の様子だったり、マグロの目とかの食用の目などを食べる様子が自分は一番嫌悪感を感じる。

もう2番目の嫌悪感というのは生きた人の目だ。 僕は人の目を直視することができない。話す時は自分の目線で文句を言われないために大体髪の毛か顎を見るようにしている。 そうすることで他人はぱっと見、目を見ながら話を聞いていると思ってくれる。

過去に自分は瞳が他人より大きいせいか、少し他人を見ているだけで、ガン見しているように見えるといわれ人によっては喧嘩売っているのかと聞かれ、あまりのショックで人を見なくなった。 それから10年近く経っているかな。言った側は傷ついていないけど言われた側は一生残るんだよね。体の特徴を大げさに取り上げてそれでしか話を盛り上げることができない人って可哀想だなと思う。 ダサいからやめとけやめとけ。

以上、最後まで読んで読んでくれてありがとうございました。